いつものように、東北新幹線「はやぶさ60号」は新青森駅を定刻通りに出発し、東京へと向かいます。
車掌の高市和也(草彅剛)もまた、乗客の安全を守るという変わらぬ使命感を胸に、日々の業務に臨んでいました。
しかし、その日常は一本の電話によって打ち砕かれます。
「はやぶさ60号に爆弾を仕掛けた」―― 。
犯人の要求は冷酷かつ単純。
新幹線の速度が時速100kmを下回れば、即座に爆発するというのです。
高市は、乗客の命を守り、この未曾有の危機を回避するため、極限状況下での奔走を余儀なくされます。
車内はパニックに陥り、乗務員たちは混乱と恐怖の中で必死に対応にあたります。
さらに犯人は、爆弾解除の代償として1000億円という巨額の身代金を要求。
事件は、はやぶさ60号の乗客・乗員だけでなく、新幹線総合指令所の笠置(斎藤工)ら鉄道関係者、政府、警察、そして日本国民全体を巻き込む、息詰まる攻防戦へと発展していきます。
止まることの許されない密室空間。
ぶつかり合うそれぞれの思惑と正義。
プロフェッショナルとしての矜持と、人間としての本能。
果たして、はやぶさ60号は、そして日本は、この危機を乗り越えることができるのでしょうか?
観る者の心拍数を上げる、ノンストップ・サスペンス・エンターテインメントの幕が上がる。
『新幹線大爆破』気になる点数は?
観るべきか否か、迷っている方のために、ネタバレなしの感想と評価をお伝えします。
全体的な印象としては、非常にスリリングで、視覚的にも圧倒されるパニック・スリラーです。
特筆すべきは、日本の大動脈である新幹線というリアルな舞台設定。
JR東日本の全面協力により、本物の車両や駅、指令室が使用されており、これが抜群のリアリティと没入感を生み出している印象。
樋口監督ならではのVFXや特撮技術も駆使され、息をのむようなスペクタクルシーンがスクリーンに展開されているところは良かったですね。
物語の核となる「時速100km以下になると爆発する」という設定はシンプルながら極めて強力。
この設定が序盤から機能し、「ノンストップ」という宣伝文句に偽りなく、次から次へと危機的状況が発生します。
観ている僕らは文字通り手に汗握る、息詰まる緊張感から目が離せません。
主演の草彅剛さんが演じる、極限状態でも職務を全うしようとする車掌・高市の、静かながらも強い意志を感じさせる演技は良かったと思います。
また、覚悟を決めて運転席に向かう運転士・松本役ののんさん、冷静かつ迅速な判断を下す指令長・笠置役の斎藤工さんなど、脇を固める俳優陣の確かな演技も光り、物語に説得力を与えており好印象でした。
さて、ここからはネタバレ全開で、本作をさらに深く掘り下げていきましょう!
鑑賞済みの方、語り合いたい方はぜひお付き合いください。
全体を通してのネタバレ感想
全体を通して見ると、JR東日本の協力によって実現した圧倒的なリアリティと、それを活かした映像の迫力、そして息詰まる緊張感は、本作の大きな魅力であり、非常に高く評価できる点でした。
走行中の新幹線で繰り広げられるアクションや、プロフェッショナルたちが対応にあたる指令室の緊迫感は、観ている僕らを強く引き込みました。
一方で、多くの人が指摘するように、物語が後半に進み、特に犯人の正体が明らかになって以降の展開については、前半の緻密で現実味を帯びたサスペンスフルな雰囲気とは少し異なる印象を受け、若干の戸惑いや疑問を感じたのも正直なところです。
前半部分の完成度が高かっただけに、後半の展開とのバランスに物足りなさや違和感を覚える方もいるかもしれません。
犯人像(柚月&古賀)についての考察
本作で最も評価が分かれるであろう点は、主犯格が女子高生の柚月だったという設定とその動機です。
彼女が抱える家庭環境への深い絶望や社会全体への憎悪は、現代に通じるテーマ性を持ち合わせてはいますが、それが大規模な新幹線爆破テロという極端な行動に直結するには、動機としてやや弱い、あるいは飛躍があると感じてしまった。
共犯者・古賀(ピエール瀧)による爆弾製造や設置の技術的支援があったとしても、一介の高校生が計画全体を主導し、実行に移すことへのリアリティラインには疑問が付きまとってしまう。
「感情移入できない」「物語から離れてしまった」といった厳しい感想も散見されている印象ですね。
また、共犯者・古賀が1975年版『新幹線大爆破』の犯人の息子だったという背景設定は、オリジナル作品へのオマージュとして物語に奥行きを与えようとした意図がうかがえます。
しかし、この繋がりがやや強引な後付け、あるいは安易な続編的要素として機能してしまった感があるんですよね。
さらに、彼が柚月の境遇に「共感」したという動機も、テロリズムに加担するほどの強い動因としては、少し説得力不足と感じられるかもしれません。
1975年のオリジナル版で描かれた犯人像が、高度経済成長期の社会構造から疎外された人々の怒りや復讐心に根差していたのに対し、本作の犯行動機は極めて個人的なトラウマや精神的な問題に起因しています。
これは時代の変化を反映したものと言えますが、同時に、オリジナルが内包していた社会全体への鋭い批評性が薄れ、物語がより個人的で閉じたスケール感になっていると思う。
結果として、犯人像や動機の描写不足や「軽さ」を感じさせ、緻密に積み上げられてきたサスペンスの満足度を最終的に少し下げてしまったと思う。
『新幹線大爆破』で描かれたテーマについて
第一に、極限状況下におけるプロフェッショナリズムです。
草彅剛さん演じる高市ら鉄道員が、私情を抑え乗客の安全という職務に徹する姿、特にその揺るぎない責任感が観客に強く印象付けられます。
「自分を捨てる職業」という本質は、高市が最後に家族の元へ戻るラストではなく、仕事仲間のもとへ向かうという選択にも繋がっています。
第二に、テクノロジーと現代社会の相互作用です。
SNSでの情報拡散、YouTuber、最新VFXといった要素は、物語に現代的リアリティを与えると同時に、情報の速さやそれに伴う危うさ、社会インフラの脆弱性といった現代特有の課題も映し出しています。
第三に、1975年版リブートとしての意義と挑戦です。
オリジナルへの敬意を払いつつ現代的再構築を目指し、JR東日本の全面協力で映像表現は大きく進化しました。
しかし、物語の核である犯人像と動機を大幅に変更したことで、オリジナルとは異なるテイストの作品となり、賛否両論の可能性も。
オリジナル版の「体制への反抗」という色合いに対し、本作では「システムや組織の力による危機克服」という側面が強く描かれている点は、興味深い対比でした。
残された謎やツッコミどころ
もちろん、これらはエンターテインメント作品特有の「フィクションとしての許容範囲」として楽しむべき部分とも言えます。
しかし、細かな点が気になってしまった、という方もいらっしゃるでしょう?
ここでは、単純な映画の感想だけでなく、視聴者が疑問に思うかもしれない点や、作品が投げかけるテーマについて、僕なりの解釈や考えを深掘りしてみました。
ぜひ、皆さんが感じた疑問点や、異なる視点からの考察なども共有していただけると嬉しいです!
さて、色々な角度からNetflix映画『新幹線大爆破』を見てきましたが、最後にこの作品の魅力をまとめてみましょう。
結局のところ、Netflix版『新幹線大爆破』ってどうなの?って聞かれたら、こう答えるかもしれませんね。
日本の技術の結晶たる新幹線の迫力と、手に汗握る大規模スリラーを求めるなら、本作は一見の価値ありです。
草彅剛さんの静かな覚悟を感じさせる演技が光っています。
物語後半の展開には賛否が分かれますが、JR全面協力による圧倒的なリアリティと、プロフェッショナルたちの奮闘ぶりは必見。
完璧とは言えずとも、観終わった後に誰かと語り合いたくなる力強さがある作品。
Netflixから発信される日本のエンターテインメントの挑戦として、ぜひ体験してみてください。