もし、完璧に計画されたあなたの人生に、予測不能な「恋」という名の嵐が訪れたら…?
2025年夏、Netflixから、心揺さぶる感動的なラブストーリーが届けられました。
その名も、『マイオックスフォードダイアリー』。
夢と現実、そして運命の愛の間で揺れ動く若者の姿を、イギリス・オックスフォードの美しい街並みを背景に描いた物語です。
こんにちは!
ラブストーリー映画に目がない僕、YOSHIKIが、この最新作の魅力を、【ネタバレなし】と【ネタバレあり】に分けて徹底的に語り尽くします!
さあ、この夏一番、切なくて美しい恋の物語へ、一緒に旅立ちましょうか。
まずはサクッと基本情報から。
これだけ押さえておけばOK!
主演が『パープル・ハート』のソフィア・カーソンさんと『クイーン・シャーロット』のコーリー・ミルクリーストさんって、Netflixファンとしては夢の共演すぎませんかね!?
予告編やあらすじから、僕が「これは!」と確信した3つのポイントを紹介させてください!
本作最大の魅力は、なんといっても主演のソフィア・カーソンさんとコーリー・ミルクリーストさんが見せる圧倒的な化学反応にあると思います。
製作総指揮も務めたソフィアさんは、相手役のキャスティング段階から「彼しかいない」と確信していたそうで、その言葉通り、スクリーンに映る二人の視線の交わし方や、何気ない会話のテンポ、その全てが「本物」の輝きを放っているように感じます。
Netflixが生んだスター二人が、この作品でどんな運命の出会いを果たすのか。
それだけでも、観る価値は十分にあるんじゃないかな。
この物語において、オックスフォードの街は単なる背景じゃないんですよね。
歴史と知性が息づくこの街は、まさに「第三の主役」と言えると思う。
荘厳なカレッジの建築や、石畳の美しい路地が、二人の恋をより一層ロマンティックに、そして切なく演出しています。
そして映画ファンにとって嬉しいのが、ロケ地が映画『ハリー・ポッター』シリーズの聖地でもあること!
例えば、二人が愛を育む図書館は、ホグワーツの医務室や図書館として使われた場所。
そんな豆知識を知っていると、物語がさらに魅力的に感じられるかもしれませんね。
多くの映画が「小説の映画化」であるのに対し、本作は非常にユニークな経緯を辿っています。
元々は映画脚本として企画がスタートし、その脚本を基に小説が執筆され、そして今回、その小説が再び映画として映像化されたそうです。
物語が本来生まれるはずだった映像という媒体に「帰ってきた」ことで、どんな魔法が生まれるのか。
この特異な制作背景を知ることで、作品への理解がさらに深まるはずですよ。
アメリカ人のアンナは、幼い頃からの夢だったオックスフォード大学での1年間をスタートさせます。
彼女の人生は、まるでエクセルのシートのように緻密に計画されていました。しかし、その計画はオックスフォード到着初日、一人の魅力的なイギリス人男性、ジェイミーとの最悪な出会いによって、早くも狂い始めます。
「なんて高慢ちきな人なの!」と憤るアンナでしたが、翌日、大学の教室で信じられない光景を目撃します。
昨日出会ったその失礼な男性、ジェイミーが、なんと自分の詩のクラスを担当する教授として教壇に立っていたのです。計画を重んじるアンナと、偶然を愛するジェイミー。
正反対の二人が、知的な駆け引きと詩を介して、次第に互いの内面に触れていきます。しかし、ジェイミーの軽やかで魅力的な態度の裏には、アンナの完璧な人生計画を根底から覆してしまうほどの、重い秘密が隠されているのでした…。
いやー、観終わった後、なんだか大切なことを教えてもらったような、温かい気持ちになりましたね。
この映画が伝えてくれたのは、
「全部強引に計画通りに進めるんじゃなくて、一瞬一瞬を楽しんで、噛み締めて生きよう。
そして、やったことの後悔はしない」
っていう、シンプルだけど、すごく深いメッセージだったと思います。
ジェイミーがアンナを連れて行った、あのケバブ屋さん。
二人で過ごしたセーヌ川の時間。
そして、クリケットのシーン…。
そんな、計画にはなかった「寄り道」の中にこそ、本当の宝物があるんだって、改めて気づかされました。
僕も、あの二人が訪れた場所が、大好きな場所のリストにたくさん加わりましたよ。
もちろん、物語には王道な部分もありますし、後半のシリアスな展開には、心の準備とハンカチが必要ですよ(笑)。
でも、それらも含めて、この映画は観る者の心に、忘れられない何かを残してくれる一本だと感じました。
【ここまでのあらすじ】
計画通りの人生を歩むアメリカ人学生アンナは、オックスフォードで、魅力的だが一筋縄ではいかないイギリス人男性ジェイミーと出会う。
彼が自分の担当教授だと知り驚くアンナだったが、正反対の二人は次第に惹かれ合っていく。
しかし、ジェイミーの軽やかな態度の裏には、アンナの完璧な人生計画を根底から覆してしまうほどの、重い秘密が隠されているのであった…。
物語の転換点は、ジェイミーが抱える秘密の暴露でした。
アンナは、彼が希少で末期的な癌を患っていることを知ります。
兄を同じ病で亡くし、苦痛に満ちた治療を目の当たりにした経験から、ジェイミー自身は治療を中止し、残された時間を最大限に「生きる」ことを選んでいました。
アンナはジェイミーのもとを去ることを拒否し、残された時間を共に過ごすことを選びます。
しかし、ジェイミーの病状は進行し、彼は自宅での緩和ケアを選択。
その最期の瞬間に、アンナは彼のそばに寄り添います。
彼女はジェイミーの手を握り、二人がこれから共に向かうはずだったヨーロッパ旅行について語りかけます。
映画は、その語りに合わせて二人が旅する幸せな姿を映し出しますが、その幻想的なシーンの中で、ジェイミーの姿は徐々に消えていき、彼が息を引き取ったことを示唆します。
物語のエピローグ。
ジェイミーとの出会いと別れは、アンナの人生を根底から変えました。
彼女は当初計画していた金融アナリストとしてのキャリアを捨て、最後のシーンでは、かつてジェイミーが教鞭をとったオックスフォードの詩のクラスで、新たな教師として立つアンナの姿がありました。
彼女は、ジェイミーから受け取った「計画に縛られず、情熱的に生きる」という哲学を体現し、彼の遺した愛を未来へと繋いでいくことを選びました。
いやー、この映画の結末、観終わった後もずっと心に残っていたんです。
気になって調べてみたら、なんと原作小説とはエンディングが全く違うってことが分かって、さらに衝撃を受けたんですよー。
原作小説では、ジェイミーは臨床試験によって延命に成功して、アンナ(原作ではエラ)と一緒にヨーロッパを旅する、という希望的な結末を迎えるらしいです。
一方で映画版は、ジェイミーの死という、より悲劇的で、明確な結末を描いた。
主演のソフィア・カーソンさんは、この結末を「希望と光で終わりたかった」と語っている。
それは「延命」という希望じゃない。
「愛する人を失った後の人生にも、力強い希望がある」という、新たな形の希望。
映画版は「喪失を乗り越えて続く人生」そのものに光を当てたんですよねー。
この選択が、物語をより現実的で、僕ら多くの観客が共感しうる普遍的なテーマへと昇華させているように、僕は感じました。
この物語はラブストーリーでありながら、「尊厳ある死」という、すごく重いテーマに踏み込んでいますよね。
ジェイミーが治療を拒否する決断は、単なる諦めじゃない。
それは、兄の苦しむ姿を見たトラウマから、自らの生と死をコントロールしようとする、積極的な選択でした。
そして、このテーマを描く上で僕が一番心を打たれたのが、アンナの反応です。
彼女は、ジェイミーの決断に対し、「一度たりとも考えを変えるよう頼まなかった」。
普通なら「生きてほしい」って、必死に説得しちゃうじゃないですか。
でも彼女は、相手をコントロールするんじゃなく、相手のありのままの決断を尊重し、支えるという愛の形を示した。
人生の全てを計画通りに進めてきた彼女が、コントロールできない現実を受け入れ、ただ寄り添うことを選んだ。この変化こそが、彼女の最大の成長だったのかもしれませんね。
この映画において、オックスフォードという街は、もう一人の登場人物でした。
でも、そこに描かれるのは現実のオックスフォードではなく、ハリウッドのフィルターを通して極度にロマン化された、「学問への憧れ」に満ちた幻想の空間だったように思います。
石畳の道、歴史あるカレッジ、ピーコートに身を包んだ学生たち…。
その描写は、少しステレオタイプかもしれない。
でも、この非現実的なまでの美しさが、本作の「気楽に観られる作品」としての魅力を支えているんですよね。
この映画は、リアルな英国の大学生活を描くのではなく、誰もが一度は夢見る「オックスフォードでのロマンス」という美しいファンタジーを、僕らに提供することに徹しているんだと思います。
この物語の成り立ち、めちゃくちゃユニークじゃないですか?
普通は「小説→映画」だけど、本作は「もともと存在した脚本を小説化したもの」が原作となり、それが再び映画化されるという逆転現象が起きているんです。
この事実は、原作小説と映画版の両方に見られる、ある種の「展開の速さ」や「脇役の描写の薄さ」といった、構造的な弱点を説明する鍵になるかもしれません。
脚本というメディアは、視覚的な表現が前提なので、どうしてもプロットの要点や印象的なシーンが優先されがち。
その「脚本のDNA」が、小説にも、そして今回の映画にも、引き継がれている。
そう考えると、本作が抱える問題は「質の悪い映画化」という単純な話じゃない。
物語の成り立ちそのものに起因する、極めて稀有なケーススタディなんだと思うなぁ。
『マイオックスフォードダイアリー』は、単なるラブストーリーじゃない。
人間の生と死、夢と現実、罪と赦しを壮大なスケールで描いた、文学的な傑作でした。
この物語が最後に問いかけるのは、有名な詩の一節でもある、「まったく愛したことがないよりは、愛して失った方がましである」という、あまりにも切実なテーマ。
もし、あなたがアンナの立場だったら、どう答えますか?
この、美しくも切ない問いに、ぜひあなた自身の答えを見つけてみてほしいなと思います😌